ただ、自然体でいるということ

弛緩するコミュニケーション

最低の自分を見つめよう

成功しているときの自分はたいてい調子に乗っている。

 

それがたまたま上手く行くときもある。

上手く行かないときもある。

 

問題は、運が良かっただけの自分の成功を自分の実力だと勘違いしてしまうと、そこに囚われて成長が無くなる。

 

 

俺はやればできるんだという致命的な勘違いをする。

 

別にお前じゃなくてもやらないだけでやればできるから

 

外に出なければいけない

ふと思いたって、LINEの中身を整理していた。

 

 

ただ作業的に消していただけなのに、トークなどから当時の記憶が蘇る。

 

ぜんぶ綺麗に忘れたかったのに、色々と嫌な事を思い出してしまう。

 

 

仲の良かった友人たちともう何年も連絡を取っていないこと。

 

久々に連絡をしてくれた友人をぞんざいに扱ってしまっていたこと。

 

バイト先でキャラに合わないLINE回収を繰り返していたらチャラい奴扱いされた事。

 

小悪魔女子にフル非モテコミットして砕け散ったこと。

 

 

 

 

昔の自分が嫌いだ。

 

今ならもっと上手くやれたのに、とか、なんでそんな馬鹿なことをやったのか、とか、そういう気持ちにずっと苛まれる。

昔は楽しかったという人達の気持ちがさっぱり分からない。

昔のことなんて、思い出しても辛くなるだけじゃないのか。

 

 

地元は捨て、母校も捨て、友人も消えつつある。

 

本当の本音を語れるのなんてもう3人くらいしかいないだろう。

 

僕はこれ以上何を捨てればいい。

もうこれ以上捨てたくないんだ。

きっと、これ以上捨てたくないから、得ることに対して億劫になっている。

身の丈に合わない物を持っても、捨てる時に辛くなるだけじゃないのかと。

 

 

 

短期的に人との距離を縮めるのはとても簡単だ。テクニックさえあればどうにでもなる。

しかし、僕が真に向き合うべきは人と長期的に付き合う方法である。

 

 

こればかりは方法論だけではどうにもできないと、薄々分かってはいたのだけれど、机上の空論をこねくり回すのに必死で、現実に目を向けたくなかった。

 

 

 

「書を捨てよ、町に出よう」という言葉にもっと早く従っていればよかった。

 

 

捨てることを恐れずに、もっと拾わなきゃいけない。

拾い尽くして、それでも指の間からボロボロと落ちていくものに対して、無力感を感じなければいけない。

 

傷つくのを恐れることが、自分をずっと傷つけていた。

不幸を取り除く1冊。『幸福の資本論』

この本はなぜあの人が幸福なのか、あの人は恵まれているのに幸福そうではないのか、なぜあなたは不幸なのかをとてもわかりやすく教えてくれる。


この本は、あなたの『不幸』を明確にしてくれる。






ずっと、何が不幸か分からずにいた。


僕はみんなより幸福だったはずなのに、いつの間にかみんなより不幸になっていた。


そういったもやもやをずっと解消できずにいた。


でも、この本で『不幸』を客観的に分析することで少しだけ気分が楽になった。



まだ暗雲が晴れたわけではないけれど、少し光が差し込んだような感じがする。

昔からクリエイターは神だった

久しぶりにニコニコ動画を開いて、なんとなくランキングを眺めていると、組曲『ニコニコ動画』という動画が目についた。



当時ニコニコの中で流行った音楽をメドレーにして10分にまとめたこの動画は、瞬く間にニコニコを席巻した。

その熱狂ぶりから人が人を呼んでニコニコ動画のコミュニティは爆発的に拡大し、インターネットで活動するアマチュアのボーカリストである「歌い手」を広める一因にもなったと記憶している。

この動画が投稿されてからもう10年が経つらしい。僕にとっては、まるで昨日の出来事のように感じられる。



当時中学生であった僕もまさしくこの熱狂の渦中にいて、熱心な信者であった僕はニコニコ動画の啓蒙活動に勤しんでいた。

何人もの友人をインターネットの沼に突き落とした。ボロボロのiPod nanoに入れて何回も聞いた。友達とカラオケで歌いまくった。その時は、とにかく楽しくてやっていた。



月日は流れて、沼の底に沈めたはずの悪友たちは這い上がって立派な社会人になり、自由を謳歌している。

いっぽうの僕は、未だに沼の底にいて、彼らを見上げているような感じがする。

僕はきっと、あの熱狂をもう一度と、ひそかに願っている。




思えば、あの頃からクリエイターは神だった。 

彼らは僕たちを楽しめるエンターテイメントを無償で、無給で、提供してくれていた。

当時の僕はそんなこと知るよしもなかったけれど、今になって彼らがどんな苦労や努力の果てに素晴らしい作品を産み出してきてくれたのか分かる。

ただ一瞬の狂宴のために、心血を注いで満足のいく作品を作る。

それでも次から次へとコンテンツが出てくるインターネットではすぐに飽きられて忘れられてしまうだろう。

彼らはそれで満足できたのだろうか。



僕も、かつての彼らのように、誰かを楽しませて、誰かを幸せにすることができるのだろうか。

恋愛をアンインストールします

ネット上にはモテている人や恋愛している人、セックスしている人が多すぎる。



それを眺めていると、僕もモテなきゃいけない、恋愛しなきゃいけない、セックスしなきゃいけないという重圧がのしかかってきて、僕を締め付けている。



僕が用法容量を間違えただけなのかもしれないが、恋愛工学をはじめとするテクニックは劇薬のようで、読めば読むほど自分が強くなった気になれるけれど、そのぶん自分も蝕まれていくような感じがする。



だんだんと現実世界に侵食してきて、あいつはセックスしているのかとか、即系だとか、そういうフレームでしか物事を考えられなくなってきていた。



初期の頃にやっていた過度なネグや強引なギラはもうしなくなったけれど、モテる事を考える度に感情が怖ばり、身体が緊張して、周りにもおかしくなっている事を指摘された。



いつの間にか、「恋愛」は僕のやりたいことではなくなっていた。

いつかちゃんと「やるべき事」ではあるけれど、僕はいま猛烈に「やりたくない」。




なので、僕は恋愛をアンインストールする事に決めました。



僕はこれからもオナ禁を続けるし、運動も続けるし、金融日記も読み続けるし、モテる方々のツイートも読み続けます。

でもそれはあくまで「自分のため」。




僕はモテないし、恋愛もそんなにしてないし、セックスも全然していない。


けれど、ここに書きとめておくことで一旦肩の荷を下ろしたいのです。


また背負えるようになるその時まで。

パーキンソンの法則について考えてみた

第1法則「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」

第2法則「支出の額は、収入の額に達するまで膨張する」

というものである。

 

 

 

・第1法則「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」

 

 

 

資料の提出期限が明後日でも、1ヶ月後だった場合でも、資料のクオリティは変わらないというもの。

 

 

一見すると、後者のほうが時間を与えられているぶんクオリティが高くなりそうに思えるが、全くそんなことはなく、むしろダラダラと時間を浪費し続ける。

 

 

僕の場合だと、後者の場合ダラダラと時間を浪費した挙句に完成しなかったりする。そうなると最悪だ。


 

 

 

 

・第2法則「支出の額は、収入の額に達するまで膨張する」

 

 

 

第二法則はとても単純な話で、「自由に使えるお金があると、使ってしまう」という話だ。


 

 

 

僕は一度身をもって経験している。

 

 

高校生の頃、祖父母から結構な額のお金を譲り受けたのだが、マネーリテラシーや資産運用などに知見のなかった僕は、そのお金を1年と経たぬうちに使い果たし、0になった時に途方に暮れた。

 


「あれだけあったお金は、一体どこに消えたのか?」

 

 

 

 

まぁ、分かっているはずの僕ですら何度もこういう経験をしているのでこればかりは傷付くしかない。


大事なのは、自分が傷付いた事に気付くということであって、傷をつけないことではない。

メラビアンの法則について考えてみた

 

 

「好意や反感などの感情を伝えるコミュニケーション」という特定の状況下において、言語情報と聴覚情報と視覚情報が矛盾した場合、相手が重視するのは

 

 

・言語情報:メッセージの内容 が7 %、
・聴覚情報:声のトーンや口調 が38 %、
・視覚情報:ボディランゲージや見た目 が55 %

 

 

というものである。

 

 

 

女性と「会話」する際に、「言葉」の内容を考えすぎて、「声のトーンや速さ」、「目線」「ボディランゲージ」がそれに見合わなかった場合、あなたが必死で捻り出した「言葉」は信用されない。

 

 

 

逆に考えれば、「好意を伝えるコミュニケーション」において、「言葉」がシンプルであっても「口調」「目線」などの非言語的なコミュニケーションからあなたの必死さが伝われば、相手は好意を受けとってくれるかもしれない。