ただ、自然体でいるということ

弛緩するコミュニケーション

外に出なければいけない

ふと思いたって、LINEの中身を整理していた。

 

 

ただ作業的に消していただけなのに、トークなどから当時の記憶が蘇る。

 

ぜんぶ綺麗に忘れたかったのに、色々と嫌な事を思い出してしまう。

 

 

仲の良かった友人たちともう何年も連絡を取っていないこと。

 

久々に連絡をしてくれた友人をぞんざいに扱ってしまっていたこと。

 

バイト先でキャラに合わないLINE回収を繰り返していたらチャラい奴扱いされた事。

 

小悪魔女子にフル非モテコミットして砕け散ったこと。

 

 

 

 

昔の自分が嫌いだ。

 

今ならもっと上手くやれたのに、とか、なんでそんな馬鹿なことをやったのか、とか、そういう気持ちにずっと苛まれる。

昔は楽しかったという人達の気持ちがさっぱり分からない。

昔のことなんて、思い出しても辛くなるだけじゃないのか。

 

 

地元は捨て、母校も捨て、友人も消えつつある。

 

本当の本音を語れるのなんてもう3人くらいしかいないだろう。

 

僕はこれ以上何を捨てればいい。

もうこれ以上捨てたくないんだ。

きっと、これ以上捨てたくないから、得ることに対して億劫になっている。

身の丈に合わない物を持っても、捨てる時に辛くなるだけじゃないのかと。

 

 

 

短期的に人との距離を縮めるのはとても簡単だ。テクニックさえあればどうにでもなる。

しかし、僕が真に向き合うべきは人と長期的に付き合う方法である。

 

 

こればかりは方法論だけではどうにもできないと、薄々分かってはいたのだけれど、机上の空論をこねくり回すのに必死で、現実に目を向けたくなかった。

 

 

 

「書を捨てよ、町に出よう」という言葉にもっと早く従っていればよかった。

 

 

捨てることを恐れずに、もっと拾わなきゃいけない。

拾い尽くして、それでも指の間からボロボロと落ちていくものに対して、無力感を感じなければいけない。

 

傷つくのを恐れることが、自分をずっと傷つけていた。